多摩市

聖蹟の町-多摩市のポスティング

 多摩市の市域は、鎌倉街道と多摩川の交差した川の南岸に位置します。昔、ここに関があったので関戸と呼ばれていました。明治になり、明治天皇が連光寺に兎狩りや鮎漁で訪れたのを契機として、この地域が「御猟場」に指定されました。天皇の行幸と皇族の訪問が続き、後に、それを偲ぶ場所として聖蹟記念館が建てられました。聖蹟桜ヶ丘駅の名前の由来は、ここから来ています。
多摩市の街並み

ポスティングエリアとしての特徴は

静かな田園地帯だった多摩市に転機が訪れたのが、1960年の桜ヶ丘分譲地の建設。この頃から東京のベットタウンとしての開発が急ピッチで進み、1971年に多摩ニュータウンの第一次入居が始まります。多摩市のニュータウン造成は70年台から80年中盤までピークを迎えました。

この時期、30代から40代だったファミリー層が多く移り住んだ結果、現代の多摩市ニュータウン部は、高齢化率の高い地域として知られています。

他方、団地部以外の街道筋のエリアは、市の地区計画における建ぺい容積率の緩和が相まって、順次マンション、アパートが立ち並び、アパマンの多いエリアになっています。

多摩市のポスティングエリアは、聖蹟桜ヶ丘駅から桜ヶ丘分譲地を望む京王タウンとしての区域、田園開発が進んだ和田地区、永山・多摩センターを中心としたニュータウン地区に分けられます。