多摩ニュータウンの歴史とポスティング
多摩ニュータウンは、高度経済成長期、昭和40年代から始まった国のニュータウン構想に基づいて建てられた新しい町です。稲城市・多摩市・八王子市・町田市の4市に広がっています。ニュータウンと言っても、事業は昭和40年代から順次始まりましたので、開発分譲年度が一番古い永山諏訪地区では高齢化も進み、建て替えも始まっています。
大まかに1960年代後半、入居が一番古いのが永山諏訪地区、70年台前半が貝取豊ヶ丘松が谷地区、70年代後半が鶴牧落合地区、バブル期の80年代~90年前半が別所、堀之内、南大沢の地区にに稲城市。
90年代後半は開発のペースが鈍りましたが、鑓水地区の入居が始まりました。2000年以降は民間企業への開発委譲が進み、カタカナ名のマンション群が多摩境駅周囲に広がるようになりました。街区ごとにURの賃貸と分譲、都公社の賃貸と分譲、都営と市営、それに分譲住宅地区、カタカナマンション地区と分割管理されています。
ニュータウン通り沿いの平場地区(団地以外の北側の通り沿い)には郊外型店舗が立ち並び、駅近には民間の分譲マンションの開発も盛んです。大学も首都大学はじめ近隣の中央大学、帝京大学、明星大学、東京薬科大学とありますから、マンション郡と同時に学生アパート・マンションが大量にこの地域にあります。多摩NTは地方学生諸君のベットタウンでもあります。
したがい、上の地区ごとに年齢層、街区により購買層がはっきりと分かれたエリアになっているので、ターゲットに応じた細かいエリア選定と撒き方を選ぶ必要があります。住所表示は永山、貝取、豊ヶ丘、別所、南大沢でも、それぞれに団地エリアがあり、学生マンションだらけの平場地区もありますので、行政の住所表示での単純ポスティングは問題が多いいです。
学生マンション・アパート、新しいマンションばかりなエリアに高齢者を対象としたチラシを撒いても意味がないでしょう。