立川市

立川市 ポスティングとマーケティング

立川市市章立川ポスティングエリアとしての特徴は、立川駅周囲、曙町・錦町・高松町などの立川通り沿いは、商業ビルとマンションが林立している都市型のエリアです。しかし、その直ぐ裏は下町的な古い戸建が密集した街並みが今も残ります。

統計的にこの立川駅周囲、単独(単身)世帯の割合が55%を超えます。ここをどう撒くか、ポスティングの成否が分かれます。配布率が緩いポスティングだと1ルーム、1K、1DKばかりに入るポスティングになるので注意が必要です。

立川駅周囲で、ファミリー層を総ざらいする場合は、配布率の高い軒並み(80%以上)または、思い切って、戸建て指定+アパマンポスティングファミリータイプ指定と組み合わせると実現できます。不動産販売の場合は、”アパマンファミリータイプ”指定で枚数を抑えたポスティングすることが可能になります。
ポスティング資料単独世帯の割合H22国勢調査 ポスプロ

駅から北側に五日市街道まで行くと、新興住宅地の雰囲気になりますが、地区計画により、昭和記念公園北側から武蔵砂川駅の北、上砂町、一番町は、準工業地域と容積率の緩い2種住専地域が広がります。このえりあはマンション群が立ち並んでいます。また、立川通り、すずかけ通り、平成新道、五日市街道沿い、芋窪街道の道路脇も、マンションやテナント施設が並びます。
道路の裏側は、閑静な戸建が並ぶ住宅街となります。

立川駅周辺より五日市街道方面の方が、新興住宅街なので、若年層の割合は、高くなります。


立川市 街の成り立ち

立川駅は明治初期に甲武鉄道の終着駅になりました。鉄道はすぐ八王子まで延伸、青梅鉄道、南武鉄道と順次開業し、その起点駅になったことが、立川発展の大きな原動力となりました。

八王子が江戸時代の街道交通の要衝だったのに対し、立川は明治以後発達した鉄道網のハブ地だったのです。鉄道網の中心で、付近に広大な土地があったが故、二中のみならず立川陸軍飛行場と関連軍需産業の用地になり、飛行場と共に職員住宅を併設した軍需工廠が立ち並びました。

戦後米軍に接収されていた立川基地は返還され、かつての軍需工廠は民間工場や都の施設になっています。

立川基地の跡地は昭和記念公園、防災基地、陸自の駐屯地、都の合同庁舎や地裁、立川市役所に変わりました。 2000年に南北に多摩都市モノノレールが市を縦断、多摩の中心都市になりました。立川市の街並み